那須高原 別荘History
2016年3月24日

那須高原の別荘文化が構築されたそのルーツを少しだけご紹介いたします。

青木周蔵

妻 エリイザベート
明示14年ここでご紹介する青木周蔵氏(明治時代のドイツ公使、外務大臣、駐米全権大使、子爵)がドイツの貴族地主にあこがれ、那須野ヶ原に農場を開設したことから那須別荘地の歴史が始まります。


明治21年東京の麹町に本邸を持っていた周蔵はドイツ貴族を真似てこの農場の一部に別邸を建築しました。非常に有能な外交官でしたが「ドイツ癖」とあだ名されるほどドイツ一辺倒だったため、政治的にはどうも失敗も多かったようです。

この別邸の設計もドイツで12年間建築を学んだ建築家の松ヶ崎萬長(男爵)に依頼し、この当時としては国内では非常に稀な軸組や小屋組にヨーロッパの伝統的な構法を採用し、外壁にも鱗形のスレートを用いるなど徹底的にドイツ風建築にこだわった設計をしています。現在では重要文化財に指定されています。


少し建物の中に覗いてみましょう。
当時は陸軍将校や米軍関係者らが頻繁に訪れており社交クラブ的な役割も果たしていたようです。備品も全て輸入品でまとめられスツールやバスタブ、ストーブにいたるまで非常にCOOLなデザインです。

中でも圧巻なのはこの超大型ワードローブ。実際には周蔵の孫が使用していたようですが、何と1924年のルイ・ヴィトン社製です。フランスのパリ本店で購入されたことが同社の記録に残っているそうです。しかし今でも変わらぬブランドデザインには脱帽です。


2階には寝室やゲストルームのほか和室もあり、畳敷きが化粧を施したドイツ風の飾り窓とミスマッチしています。寝室脇の階段にはドイツで半小屋裏と呼ばれる3階の小屋裏部屋がしつらえており、ドイツ好きの周蔵にはマストハブなデザインだったのでしょう。


那須野ヶ原は明治時代の殖産興業政策により一気に開拓の気運が高まり、時の元勲や旧藩主らによって大農場の開設と併せて別荘が次々と建築されました。那須野ヶ原開拓の歴史そのものが那須高原の別荘文化のバックグランドになっていると言えます。


板室街道から青木別邸へのびる整然としたあすなろの並木は、明治の元勲たちが誇らしげに馬車で通り抜ける様を思い浮かべると、ハリウッドスターが歩くレッドカーペットのようにも見えてきます。
旧青木家別邸は那須高原「HEIWAGO NATURE FIELD」から車で約20分の場所にあります。隣接する道の駅「明治の森・黒磯」では新鮮な朝採れ野菜のほか手作りパン工房が人気です。HEIWAGOからのお帰りの際には別荘デザインの参考にお立ち寄りください。
別荘設計にはHEIWAGOイチオシのドラスティックな建築士がお手伝いいたします。是非この機会にお問い合わせください!

在りし日の洋館ファザード

ステンドガラス加工
このブログをご覧いただいた貴方だけにシークレットNEWS!
実はHEIWAGOでは重要文化財級の某財閥系洋館の建材をストックしております。ある日事情があって取り壊しの憂き目にあうところ、縁あって当社にてその大切な建材等を譲り受ける事になったのです。これも何か特別なHEIWAGOの使命を感じます。その一部をご紹介いたします。
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